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東京高等裁判所 昭和29年(ナ)3号 判決 1955年6月09日

原告 和田操

被告 新潟県選挙管理委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が原告の訴願に対し昭和二十九年十月二十六日なした裁決を取り消す。昭和二十九年七月十六日に施行された新潟県三島郡寺泊町農業委員会委員の選挙を無効とする。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

(一)  原告は、昭和二十九年七月十六日施行された新潟県三島郡寺泊町農業委員会委員の選挙に立候補したものであるが、右選挙には後記の違反行為があり、該違反行為は選挙の結果に異動を及ぼす虞があるとして、昭和二十九年七月三十日寺泊町選挙管理委員会に対し選挙の効力に関する異議の申立なしたところ、同委員会は、昭和二十九年八月七日右異議の申立を却下する旨決定した。よつて原告は、同年八月二十六日被告に対し訴願を提起したところ、被告は、同年十月二十六日原告の請求を棄却する旨の裁決をなし、同月二十八日原告に裁決書を交付した。

(二)  しかしながら、原告は、右選挙の開票従事者に選挙の公正を妨げる虞ある行為があつたとの理由で右選挙の無効なことを主張する。

すなわち、右選挙の開票に当つて、開票事務を担当した寺泊町役場吏員池田三津男は、原告に対する投票の蒐集及び他の事務従事者の開披選別した投票を計算系に運搬する仕事に従事していたが、自己の蒐集した投票を相当数自己の着用せるズボンの右うしろポケツトに隠匿し、これを計算係に運搬しなかつた。右は選挙の管理施行に関する規定に違反するものである。しかして本件選挙の有権者数は三千百十四名、投票数二千八百七十四票、内無効投票数三十三票であるが、原告の知人大塚三雄は、昭和二十九年七月十六日午後八時五分頃開票事務従事者である女吏員某から原告の得票数は百五十票をいくらも切れない旨告げられたのに、寺泊町選挙管理委員会の公表した原告の得票は百十四票であつた。しかして本件選挙の最下位当選者小林喜八郎の得票数百四十九票と次点者たる原告の得票の差は三十五票であるから、前記投票隠匿行為がなかつたならば、選挙の結果に異動を及ぼすことが明らかであり、本件選挙は全部無効である。

よつて、右選挙の無効の裁決を求めた原告の請求を棄却した被告の裁決は失当であるから、これを取り消し、右選挙の全部無効なることの判決を求めると述べた。

(証拠省略)

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、原告主張事実中(一)の事実は認める。(二)有権者数、投票数、無効投票数、寺泊町選挙管理委員会公表原告の得票数は認めるが、池田三津男に原告主張の投票隠匿行為があつたことは否認する。その余の事実は知らない。本件選挙の開票にあたつては、開票所は正規の通り設置され、立会人、事務従事者はそれぞれ所定の位置にいたし、参観人席は査票台の一間位の近距離にあつて当日は百数十人が参観していたが、いずれも投票隠匿の事実を認めたものはなかつた。池田三津男が投票を隠匿したとすれば、投票者数と投票数が符合しないことになるが、その事実はない。仮に投票を隠匿して不正に差し替え補充したとすれば、投票用紙の不正使用がなければならない。しかるに作成された投票用紙は三千二百六枚に対し、当日使用された投票用紙は二千八百七十四枚、残数三百三十二枚合計三千二百六枚で、投票隠匿、不正使用の点は認められない。よつて原告の請求は失当であると述べた。

(証拠省略)

理由

原告が昭和二十九年七月十六日施行された新潟県三島郡寺泊町農業委員会委員の選挙の候補者であること、原告が右選挙の効力に関し原告主張のように異議申立を経て、被告に訴願を提起したところ、被告は同年十月二十六日原告の請求を棄却する旨の裁決をなし、原告に対し同月二十八日右裁決書を交付したことは、当事者間に争のないところである。

しかして、原告は右選挙の開票従事者に投票を隠匿するなど選挙の公正を妨げる行為があり、右は選挙の管理施行に関する規定に違反すると主張するので、以下これを検討する。原告は、右選挙の開票にあたつて開票事務に従事した寺泊町役場吏員池田三津男がその蒐集した投票を相当数その着用していたズボンの右うしろポケツトに隠匿し、これを計算係に交付しなかつたと主張しているので、証拠を調べるに、証人渡辺良夫は、「当日私は開票所参観人席入口から一間半位のところで、前列から二列目の位置で参観しておりましたが、開票直後私達の参観人席から見て開票台の手前側右角のところで、ズボンの後ポケツトに手を入れてそわそわしている者がおりましたので、同人を見ていると、開票中同人が前述右角の位置で右手で投票をズボンの後ポケツトに入れたのです。その時同人は左手指の間に幾つもの票を狭んでいてその中一つを取つてポケツトに入れたのです。その時は同人の名前は判りませんでしたが、後にそれは池田三津男と云う者だと聞きました。」と証言し、証人大塚義太郎は、「私が参観中開票事務従事者の池田三津男が参観席から見て査票台の手前左側から右角の方え歩いて来る時に左手指の間に狭んでいた投票の一つを右手に取りポケツトに入れたのを見ました。それは投票を入れたのに間違ありません。その数は二、三十枚位あつたと思います。」と証言しているけれども、(一)寺泊町役場内昭和二十九年七月十六日施行の寺泊町農業委員会委員選挙開票所の検証の結果によつて認められる開票所の状況、査票台と計算補助者席、計算係席、開票立会人席との距離が五尺ないし六尺を隔てたのみであり、査票台と参観席最前列との距離も当初は八尺五寸位、参観人が増えた後には六尺四寸位となつたこと、従つて査票事務従事者の行為は四方より判然認められる位置にあつたこと、(二)寺泊町選挙管理委員会の保管する昭和二十九年七月十六日施行の寺泊町農業委員会委員選挙の投票の検証の結果によつて認められる有効投票二千八百四十一票、無効投票三十三票、未使用投票用紙三百三十二枚合計三千二百六枚が現に存在すること、(三)証人池浦熊太郎の証言によつて認められる本件選挙の開票の際、作成した投票用紙の総数と使用投票用紙に未使用投票用紙を合計した数とが符合することを確認してそのすべてを包装封印したこと、(四)証人田中清八の証言によつて認められる本件選挙に関し寺泊町選挙管理委員会に納入せられた投票用紙は金庫に保管してあり、その間抜きとられたような形迹がなかつたこと、(五)証人伊藤彦栄、池浦熊太郎、小林菊治郎、納谷孫太郎、佐藤仁一の各証言によつて認められる同証人らはいずれも本件選挙の開票にあたり、開票立会人、選挙長、疑問票検査係、開票場係として列席したが池田三津男の不審な挙動を現認しなかつたこと、(六)証人池田三津男の証言と合せ考えると、前段摘示の証人渡辺良夫、大塚義太郎の証言は信用できない。本件選挙にあつて寺泊町選挙管理委員会が作成した全部の投票用紙が現に存在しているのであるから、開票にあたつての投票の隠匿は考えられないし、又前記(一)ないし(五)に認定した状況の下においては投票用紙のすりかえも考えられない。しかして、本件選挙の未使用投票用紙は、成立に争ない乙第三号証(投票用紙受払内訳書)には各投票所に配布した用紙中の未使用分三百十六枚未配布十六枚と記載されており前掲検証の結果により認められる現に存在している未使用分三百三十二枚と一致し、かつ証人北川善之丈、田中清八の証言によれば、検証の結果によつてその存在を確認された投票用紙合計三千二百六枚が北川善之丈が印刷して寺泊町選挙管理委員会に引き渡した投票用紙の全部であつて、これ以外の投票用紙は北川善之丈方に残存しているかも知れない一、二枚が印刷されただけであり、投票すりかえに使用し得る投票用紙は存在しなかつたことを認めるに十分である。

原告はまた、原告の知人大塚三雄は開票進行中開票従事者の女吏員某から原告の得票は百五十票をいくらも切れないと告げられたが、寺泊町選挙管理委員会の公表した原告の得票は百十四票であつたと主張し、証人大塚三雄は、開票中女の役場吏員から原告の票は三束廻わされたと聞いたと証言しているが、検証の結果によれば、有効投票は各候補者毎に五十票ずつまとめてあるけれども、五十票に満たない端数も一束にされていることが認められるので、原告の得票の三束ということは必しも百五十票を意味せず、百票に加うるに五十票未満の若干票の意味とも解せられるので、前記証人大塚三雄の証言は、原告の得票の隠匿ないしはすりかえの証拠とはならないものというべきである。

以上掲げた証拠の外、本件一切の証拠を調べても、本件選挙の開票にあたつて開票従事者に選挙の公正を妨げる虞のある行為があつたと認めるに足る証拠はない。それ故右事実のあつたことを前提とする原告の本訴請求はその余の争点につき判断するまでもなく失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 大江保直 草間英一 猪俣幸一)

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